Jan. 21, 2008



 細木数子が相変わらずテレビで大顔をさらしている。 朝青龍問題でもしゃしゃり出、いかに自分が朝青龍の面倒を見たか、自己宣伝に余念がない。
「それで、泊まっていたホテルから、私のマイバッハ( 高級外国車 )で空港に向かわせたんですよ。 だけど、その前に彼のマネジャーが“お金を持っていない。 飛行機代が払えない”っていうんですよ。 だから、私が出してあげたのよ、計6人分。 宿泊していたホテルの部屋は1泊85万円もする部屋でしたが、ホテルにしても飛行機代にしても、成田へどうやって行くかも、本当に彼のことを誰も考えてなかった。 いったいどうするつもりだったのかねぇ」
( 『女性セブン』 2007年9月14日号 )
 金権ひけらかしばあさんの露出は実に目障りである。 細木数子は民放や女性誌メディアの程度の低さ、視聴者や読者の民度の低さを示す指標でもあろう。 的中率が素人にも劣る占いや、誤りだらけで非合理な独断、ヤクザ風の態度と放言、カネを持つ者が偉いとする人生観、男尊女卑の処世訓、示威的な浪費など、彼女のすべてが世を害すること甚だしい。 いい加減世のため人のために 「大殺界」 ならぬ 「冥界」 に入っていただかねばならない人物である。



~ 目次 ~
 このところ細木某女のことが賑やかですね。 視聴率さえ取れれば なんでもいいという、テレビ局の姿勢は鼻持ちがなりません 彼女が、昭和天皇の祐筆だった 安岡正篤老師と結婚したときは、正直な話、治安当局も宮内庁も飛び上がりました。

 師は無類の酒ずきで、少量だが昼酒をこよなく好まれました。 細木某女が銀座で クラブのママをやっていたときに知り合い、いつの間にか安岡邸にもぐりこまれてしまったようです。 この頃の老師は、弟子たちの証言ではすでにまだらボケ状態が みられたようだが、いずれにしても、師は日本における陽明学の泰斗であったから、もし三島由紀夫が生きていたら大変なことになっていたろう。

 事実、 「 盾の会 」 の若い連中が悔しがり、不穏な情報まで流れてきた。 もう時効だろうから触れておくと、われわれは登場人物の属性調査までをやり直しましたよ。 もっとも彼女は、われわれの間ではすでに有名な存在で、特に暴力団関係の筋に名前はあがっていました。 いずれにしろ、週刊誌ネタにまでされて、高名な老師もとんだことで晩節を汚したものだと、関係者はひとしく彼女のことを恨んで ましたよ。

 この騒ぎから一年もしないうち師は亡くなられたが、じつはそのあとが大変だったんです。 安岡邸の書庫にぎっしりの漢籍の処分をめぐり、ひと悶着あった。 東西の暴力団がいりみだれてね。 西は民族派団体を名乗るY会会長、この男は韓国の歴代大統領も一目置くぐらいの大物、もちろん 韓国人 だ。 一方、東のほうは組織暴力団N会の最高幹部H、これも 在日 だ。 細木はこの親分と緊密関係にあった。 主役を演じた彼女の出自については、この際は置いておく。 国会図書館にもないといわれた貴重な安岡漢籍の行方はどうなったのか。 どこでどういう折り合いがついたのか、いまは 韓国の某有名大学に “寄贈” されている とだけ触れておこう。
……… あぁ、無念! ………


大物右翼・安岡正篤を籠絡した手口

 83年3月、東京・九段の料亭 『 あや 』 で自衛隊関係者を中心に 「 日本国維会 」 の結成準備会が開かれたとき、山田栄一が細木を安岡に紹介したという。 だが、安岡の門弟側に言わせれば、紹介者は八木信夫という戦前の内務官僚だった。
 「 朝鮮が日本の領土だった時代、八木さんは朝鮮で知事をしていた。 師友会の理事です。 出会った最初が3月というのも違う。 5月に八木さんが細木を新宿の全国師友協会に連れてきた。 自分のガールフレンドとして得意になって連れてきたものの、細本はたちまち安岡先生にくら替えした。 だから一時期、八木さんは 『 あんな女をお前が連れてくるからだ 』 って、弟子たちから総スカンを喰った 」
 当時、安岡はどうだったかといえば、老人性のボケ( 認知症 )が5年ほど前から始まっていた。 それまで安岡には、師友協会の会員である某社社長がハイヤーを出して送迎していた。 ところがそのころ見慣れぬ外車が迎えに来て、しかも運転手がやくざ風だった。 安岡は警戒することなく迎えの車に乗り込み、どこかに消えた。 門弟たちは驚き、車のナンバーを控えて警察に問い合わせた。 すると、小金井一家総長・堀尾昌志の所有車と判明した。 これで門弟たちは驚愕したという。
 細木は酒と色気で安岡をたぶらかした。 当時45歳、熟女の迫力で85歳の安岡に迫り、籠絡した。 当時、細木は安岡について、知り合いの女性にこう言っていた。
 「 家じゃ飲ましてもらってないようだから、わたしが好きなだけ飲ましてる。 お酒で “殺した” のよ 」
 細木は当時、島倉千代子から取り上げた赤坂パークハウスの一室に住んでいた。 そこには四畳半の部屋があり、細木は納戸代わりに使っていた。 その女性が細木を訪ねると、細木は彼女を四畳半に案内した。 部屋の隅に吉田松陰や山本五十六など、掛け軸を納めた箱( 表書きされている )が50個ほど積まれていた。 細木は足で掛け軸を示し、 「 これ、全部あいつに持って来させたの 」 と言ったという。
 細木はこのマンションで堀尾昌志と同棲していたが、堀尾は安岡が来ると、まるで堀尾の方が間男のように消え、自分の車を運転手ごと安岡に提供していた。 ヤクザのくせにやってることは美人局みたいじゃないかと陰口を叩かれる状態を続けたのだ。


ヤクザに由来する低俗性

 細木は83年8月、安岡に結婚 「 誓約書 」を書かせ、10月、結婚誓約書をもとに文京区役所に婚姻届を出した。 安国家は11月、東京地裁に婚姻無効の調停を申し立てた。 安岡は最晩年、 「 毒婦 」細木に出会って、むざむざ老残の姿をさらすことになる。 細木にとって40歳の年齢差など物の数ではなかった。 安岡が老齢だろうと、細木にとっては 「 上玉 」であり、玉の輿だったのだ。
 83年12月、安岡は亡くなり、翌84年1月 「 青山葬儀所 」で本葬が営まれた。 このとき昭和天皇は祭粢料を下賜し、葬儀委員長は岸信介だった。
 一羽の鶴がたまたま細木数子という毒ガス噴き出す泥沼に降り立って昏倒した …… それが安岡正篤の姿だったかもしれない。
 「 巨星墜ち 牝ギツネ走り 枯れ野原 」
 安岡正篤が死んで23年。 なおも細木は何物かに追われるごとく枯れ野原を走り続けている。
 細木の本質は女ヤクザにあり、彼女の持つ低俗性はヤクザに由来している。 細木自身はヤクザとの骨がらみの関係を過去のこととして葬り、隠し通せると考えているようだが、隠しきれる規模ではない。 細木は朱に交わって赤くなり、ついには細木という人間がヤクザに変身した。
 細木は時代の持つ貧しさと低俗性の象徴である。 彼女は財を誇りながらも本質は貧しく、餓えている。 細木数子は今、公共の場から退場することを求められている。



新年の朗報

ようやくテレビから 「細木数子」 が消える

 新年早々朗報である。 細木数子( 69 )がレギュラー番組からこの3月をもって降板するというのだ。 あの顔がテレビの画面から消えるのである。 本人は本業の占いに専念すると言っているらしいが、ナニ、相当に追い込まれた末の“遁走”なのである。
 現在、細木数子のレギュラー番組は、TBSの 『 ズバリ言うわよ! 』 ( 火曜午後9時 )とフジテレビの 『 幸せって何だっけ~カズカズの宝話~ 』 ( 金曜午後7時57分 )の2本だが、相次いで降板することが決まったというのだが、
 「 彼女がテレビから撤退するので、本当に喜んでいます 」
 と言うのは、エッセイストの井狩春男氏である。
 「 一番嫌いなタレントでした。 僕はあの顔のアップがテレビに出るたびに鬱陶しいくて、別の部屋に引き下がって他のテレビを見ていました。 彼女は自分だけが偉くて、お前たちには私が教えてやる、という感じだった。 しかも、育ちが悪いのか、言葉遺いが悪すぎるし、わざとらしいあの声はイヤでした。 全体に品が悪くて、よくテレビ局が使っているなあ、と驚いていました 」
 井狩氏は彼女が持て囃された理由をこう分析する。
 「 彼女がタレントの悪口を言うのを聞いてスッキリするという女性は少なくなかった。 だから視聴率が取れたのですが、彼女が“あんたは離婚する”と言って苛めるタレントは美人が多かった。 女の嫉妬心丸出し。 こりやあ、同じレベルの世の中のオバチャンたちが喜ぶはずです。 彼女の占った結果はほとんど当たらないので、僕などは鼻白むばかりなのに、オバチャンたちは気にしない。 自分のうっぶんを彼女によって晴らしていたのでしょうね 」

姑息な手段

 その細木数子は本業に専念するために、番組を降りるというが、実際にはどうなのか。
 「 視聴率が下がっているのも事実だし、彼女は彼女なりに“そろそろ限界かな”と判断したんじやないか。 毎度お馴染みの高飛車な物言いにも視聴者が飽きてきています 」
 というのは芸能レポーターの石川敏男氏である。
 「 それにテレビ以外のマスコミが彼女を遠慮なく叩いていて、これまで何とかしのいできたものの、溝ロ敦さんに過去の行状をほとんど暴かれてしまった。 ( 溝口 氏を訴えて )裁判になっていますが、今後裁判の模様をテレビ局が報道するようになる。 審理中に細木がやくざの女房だった時にやってきた行状を暴かれたら誰 にも信用されなくなる。 そうなると占い師としての立場もなくなってしまいます。 それを避けたかったのではないか 」
 ジャーナリスト・溝ロ敦氏が、週刊現代で『 細木数子 魔女の履歴書 』のタイトルで、細木数子と暴力団との深い関係について書いたのは一昨年のことだが、細木側は発行元に6億円余りの損害賠償を求める裁判を起こした。
 「 そもそも彼女が裁判を提起したこと自体が、テレビ出演を続行するための姑息な手段に過ぎなかった 」
 というのは溝ロ氏。
 「 訴えるポーズを取って、“あれは全部うそだよ”と世間に印象付けておき、おかげでテレビ出演も継続できた。 今回の裁判では、実は細木が証人として呼んだ暴力団関係者が、彼女の意に沿わない正直な“証言”をしたため、裁判がこちらに有利に展開しているのです。 今になって、テレビ出演をやめるというのは、いかにも自分がどんどん不利になっていく裁判を見極めた上で、やめるタイミングを計った感じがします 」
 あの顔がテレビから消えて清々する人も多いはず。
( 2008.1)