細木数子を踏み潰す
~金の亡者~  細木数子




 細木数子が、どれほど悪どい金の亡者かと言うことを説明するためには、まず、安岡正篤まさひろについて説明する必要がある。
 安岡正篤って言う人は、右翼思想家であり、陽明学者であり、佐藤栄作・福田赳夫・大平正芳など歴代の総理大臣のブレーンであり、池田勇人の派閥研究会「宏池会」 の命名者である。
 埼玉県に記念館まで建っちゃってるスゴイ人だ。 第二次世界大戦の終戦の時の、昭和天皇の玉音放送、 「朕はぁ~」 ってやつ、あれの草案に対して加筆したとされる人で、今の 「平成」 って年号もこの人が考案したとされている。


 明治31年2月13日、大阪市順慶町で幕臣の堀田家の四男として生まれ、中学校校長の縁で土佐出身の安岡盛治の養子に迎えられる。 大阪府立四条畷中学、第一高等学校を経て、大正11年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。
 戦前は右翼思想家として名をはせ、二・二六事件の首謀者西田税に影響を与えた一人。 敗戦後、GHQの右翼解散命令により彼の金鶏学院も解散の憂き目を見る。 そこで戦後は東洋古典道徳家に転じ 「全国師友協会」 を設立。 政財界リーダーの啓発・教化につとめ、吉田茂から中曽根康弘にいたる戦後歴代ほとんどの首相が師と仰ぎ、教えを請うてきた。 終戦の詔勅へ 「万世の為に太平を開く」 を加筆し、平成の元号の考案者と言われている。

 こんなにスゴイ人でも、としには勝てない。
 80才を過ぎたころから、だんだんにボケ始め、85才になった時には、完全な老人性痴呆症になり、日常的なことも、まともに判断できないようになっていた。
 そんな安岡正篤に、細木数子の魔の手が伸びたのだ。
 細木は安岡に近づき、痴呆で何も判断できない安岡に、自分との結婚を同意させたのだ。 この時、安岡は85才、細木は45才。 1983年3月のことだ。

 しかし、安岡の家族は、これに猛反対。
 明らかに財産狙いが見え見えの細木から安岡を隔離した。 実兄である高野山真言宗大本山管長、金剛峯寺第四〇三世座主の堀田真快氏のもとへ移して、細木と接触をさせないようにしたのである。
 それなのに細木は、この年の10月に、ひとりで役所へ出向き、婚姻届を提出した。 そして、その僅か2ヶ月後の12月13日、細木のオモワク通りに、安岡正篤はこの世を去ったのだ。

 その1983年の出来事を表にすると
3月1日:自衛隊関係者の政治団体の会合で知り合あう。
安岡は細木の自宅および細木の経営する赤坂のフランス料理店 「マンハッタン」 にしばしば通う。
( 「マンハッタン」 は当初クラブだったが、このころにはフランス料理店に替わっていた)
8月29日:安岡は細木との結婚誓約書、および追記を書き捺印。 誓約では 「翌年の4月に入籍する」 とされていた。
9月6日:安岡は体調不良を訴える。 この頃から、安岡家側は細木との接触を避け始める。
10月4日:安岡が家族および師友会側の計らいで高野山の寺院に移される。
10月25日:細木が 「結婚誓約書」 をもとに文京区役所に 「婚姻届」 を提出、受理される。
同じ日、安岡家側も同区役所に 「婚姻届不受理」 の手続きを行なおうとしたが、細木の正式住所確認に手間どり、10分間の差で不受理となる。
11月9日:細木が安岡家に 「婚姻通知」 を内容証明郵便で郵送し、安岡の居所を明らかにするよう要求。
11月11日:安岡家側、細木に反論の手紙を内容証明郵便で郵送。
11月16日:細木、東京地裁に 「人身保護の請求」 の申し立てを行う。
11月18日:安岡家側、東京地裁に 「婚姻無効」 の調停申し立てを行う。
11月29日:細木の 「人身保護の請求」 にもとづく東京地裁の第一回審理において、安岡の居場所が大阪・中之島の住友病院と判明。
12月7日:細木、住友病院にマスコミと共に押しかけ、安岡との面会を要求。
12月13日:安岡正篤死去。 享年85歳。
12月19日:裁判所での調停が和解し安岡の初七日に籍を抜く。
 ここで注目すべきは、8月29日に細木が安岡氏に署名、捺印させた 「結婚誓約書」 である。
 常識で考えてほしい。 普通 「結婚誓約書」 など書かせるだろうか?

 もちろん書かせたりしないだろう。 本当に相手のことを信頼しているなら、誓約書など不要である。
 にもかかわらず、細木はなぜこんなものを書かせたのか。
 それは自著で再三にわたり 「陽明学の大家」 として安岡氏の名前を出し、ハクづけに利用していることからもわかるように、「安岡正篤」 というビッグネームの妻になることは自らの格をあげる良いチャンスであり、絶対に逃すことはできないと判断したからだろう

 このときの細木数子は、とにかくなりふり構ってなどいなかった。
 結婚誓約書では、翌年の4月に籍を入れると書かれているにもかかわらず、それを無視して半年も前の10月に婚姻届を提出したのである。

 百歩譲って、細木が安岡を本当に愛していたとしよう。
 でも、そうしたら、相手は何も判断できない85才の痴呆老人なのに、細木は、どうしてここまで 「法律上の入籍」 にこだわったのか。
 その答えは何も言わなくても、誰の目にも明らかだろう。
 そして、このあと予想通り、安岡正篤の莫大な遺産を巡って、遺族と細木との泥沼の訴訟合戦 が、何年も何年も続いて行ったのだ。

 この件についてのマスコミの対応は早く、『 週刊文春』 が1983年12月22/29日合併号で既に記事にしていて、 「当時の安岡氏は、同じ内容の電話を10分間に二度かけるなど、痴呆の兆候があったという。 住友病院で行われた検査でも、全部で7つ見つかった症状のうちの1つに老人性痴呆症が挙げられていた」 とある。
 ちなみにその記事の中で安岡家側は 「同先生に確認を求めたところ、先生は婚姻届が提出された当時も現在も、旧姓細木数子様と婚姻する意思は全くないとの御返事でした。 なお、同時に同無効確認の法的手段を準備中です。 したがって( 中略 )安岡正篤先生の妻として認めるわけには参りません」 と主張している。
 後に細木は 『週刊文春』 1999年9月16日号に於いて、 「先生はボケてなんかいません。 わざとボケたフリをして隠遁生活をしていただけです。 お年を召されて、自分の話を本当にわかってもらえる同年代の人をいなくなったし、若い弟子たちを相手に話すのも煩わしかっただけのこと。 弟子は先生に相手にされなかったものだから、私に嫉妬して色々いうのよ。 先生がボケていなかったことは、近未来に必ず証明してみせます」 と当時の安岡が 「痴呆が疑われる状態であった」 事を認めている。
 ちなみに細木は神楽坂の5丁目にある事務所に 「財団法人 安岡正篤顕彰記念 細木数子事務所」 と掲げているが、「安岡正篤顕彰記念」 なる財団法人は存在しない

 テレビで細木数子の半生を特集する時、なぜかこの話題にだけは、どの局も触れないようにしている
 それが、制作サイドと細木との暗黙の了解だし、テレビだけに限らず、スポーツ紙でも週刊誌でも、すべてのマスコミは、この話題に触れないようにしている。

 これは、なぜかと言うと、細木のバックには暴力団がついているからなのだ
 細木は、20代後半から30代後半まで、ある暴力団幹部の愛人だった。
 暴力団の名前も、幹部の名前も、もちろん知ってるけど、さすがに、これだけは伏せておく。
 ちょっとだけ書くと、K一家のHMと言う幹部だ。
 そして、細木は、暴力団がバックについてることを利用して、島倉千代子を騙したり、悪徳石材店とツルんで、サギまがいの霊感商法を始め、悪どく儲け続けた

 細木がインチキ占いをして、 「このままだと不幸が続く。 救済は先祖供養しかない」 と相手を脅し、ツルんでいる石材店を紹介して、1000万円もするお墓を買わせる、と言うものだ。
 そして、こんな大金など無いと言う人には、自分のバックの暴力団が経営している高利貸しを斡旋するのだ。
 このために、どれだけの人たちが苦しめられたことだろう。
 「このままだと不幸が続く」 と言われた人たちは、細木に騙され、何倍も不幸になっていくのだ

 ある記者が、この細木の霊感商法をつきとめるために、この石材店に取材をした。
 そしたら、数日後、細木がひとりで編集部に乗り込んで来て、担当の編集者に、まるでヤクザのアネさんよろしく、ドスの効いた声でこう叫んだ。
 「あんたっ! 畳の上じゃ死ねないよっ!」
 これが、仮にも、自ら 「人を幸せにすることが私の生き甲斐なの」 って言ってる人間のセリフだろうか? こういうのを “へそで茶を沸かす” というのだろう。 
 テレビでも、何も分からないようなアイドルタレントを相手に、「あんた、地獄へ落ちるよ!」 なんて平気な顔して言ってるけど、さすが、元ヤクザの情婦だけのことはある。

 こんなことばかり続けていて、本当に地獄へ落ちるのは誰なのか、それは、神様だけが知っているだろう ……。

 「占いは独学で学んだ」 って言ってるけど、ふつうに本屋で売ってる 「ゼロ占星術」 って言う本を読んだだけの細木数子。
 そんなインチキ鑑定のクセに、たった30分で10万円もの暴利をむさぼってる細木数子。
 借金で困っていた島倉千代子を助けるフリして、暴力団とツルんで騙した細木数子。
 アテネオリンピックが始まる前に、 「ヤワラちゃんは絶対に金メダルはとれない!」 って断言したクセに、ヤワラちゃんが金メダルをとったら、その話題には触れないようにテレビ局に根回しした細木数子。
 他にも、数えあげたらキリがないほどの悪行を積み重ねて来た細木数子。

 ガッツ石松の 「ガッツ伝説」 のように、どこまでも続いて行く極悪非道な 「細木伝説」、数年後にやって来るであろう、そのゴールには、舌を抜くペンチを握りしめた閻魔様が、真っ赤な顔をして待ち構えているに違いない ……。