細木数子を踏み潰す

( 2006年01月17日 )




 細木数子の個人鑑定を受けるためには、まず 「勉強会」 に参加する必要がある。 これは東京と大阪で月に一回開催され、参加費用は “1万円” とされている。 個人鑑定はこの 「勉強会」 が終わったあとに申し込む。
 鑑定料は 「人生相談」 は一件につき 「10万円」。 ( 例えば 「恋愛・仕事・病気」 のことで相談したければ、30万円となる )その他の相談については 「お墓の建立・5万円」 「命名・50万円」 「家の設計・100万円」 などとされている。
 個人鑑定は、事前に三代前までの先祖の戸籍謄本をとって提出しなければならない。 鑑定当日は事務所の従業員に 「細木先生に聞かれたこと以外の口をきいてはならない」 という趣旨の念押しをされ鑑定室に通される。

 鑑定では細木から下記のような紙が渡される。

 1枚目
 ・古い仏壇の供養の仕方
 ・新しい仏壇の開眼供養に必要なもの
 ・新しい位牌の戒名
 ・本尊の仏像

 2枚目
 ・古い墓地の供養の仕方
 ・新しい墓地に建てるお墓の図
 ・開眼供養の日にち

 個人鑑定直後に仏壇・墓石業者との交渉が始まり、墓石代や永代使用料で一千万円を超える契約をした人までいる。

 墓石業者の久保田家石材商店幹部は 『週刊文春』 90年8月16日号で 「細木先生を通じてウチにきはるお客さんで、年間十億と語っている。 全国に7箇所にある細木事務所が実は全部、同社の現地営業所や関連会社の事務所でもあったのである。

 自著 『幸せになるための先祖の祀り方』 ( KKベストセラーズ )の中で 「私は墓石屋さんや墓園業者、あるいは仏壇屋さんと組んでいるわけではありません。 そうした疑問を抱く方もときおりおられますが、心が曲がっていることを残念に思います」 と書き、 『新潮45』 ( 2005年4月号 )のインタビューでは、 「ずっと関係があると言われてきた墓石屋だって、十年も前に潰れて今はどうなっているのかも知らない」 と語っているが、 「久保田家石材商店」 は 「亘徳」 と名前を変えただけである。
 京都府にある細木の京都事務所は 「玉実己」 と言う墓石店と同じ場所にある( 京都市西京区山田中吉見町7-1 )が 「玉実己」 を経営しているのは 「亘徳」 である。 ちなみに 「玉実己」 は細木専用の墓石店であるため、普段はシャッターを下ろしている。 電話で問い合わせても 「細木先生の紹介がなければ来店はお断りします」 と来店を拒否される。

 仏壇については昔は 「翠雲堂」 というところと組んでいたが( 山口もえの実家として有名 )、最近は 「光仙堂」 という業者を薦められるらしい。 「光仙堂」 のホームページには 「グループリンク」 と称して 「亘徳」 のバナーが貼り付けられている。
 ちなみに細木数子の東京事務所( 有限会社 薫白莟 ) の代表取締役は、 「久保田家石材商店」 ( 現 「亘徳」 )の元代表取締役の久保田茂多太呂である。 それについて細木本人は 「代表が女だと良くないので名前を借りた」 と述べている。
 細木の京都での鑑定会は宗教法人・阿龍山瑞専寺の大国教会( 京都府京都市右京区嵯峨観空寺谷町1-2 )で開かれる事が多いが、久保田茂多呂 著 『世にも不思議なお墓の物語』 ( 1982/01 )の出版社がこの大国教会である。
 ちなみに宗教法人の墓の販売( 永代使用料 )・寄付・おみくじ、お守り、お札の販売などは公益事業とみなされその収益に対しては非課税となる。

墓石商法、佐賀地裁で訴えられる

 細木は1993年に 「不当に高額な墓を買わされた」 として、総額1100万円の損害賠償を請求され佐賀地裁で訴えられている。 訴状によれば、訴えたのは佐賀市に住む当時55歳の主婦( 以下 「Aさん」 )。
 最初に彼女が細木と出会ったのは1985年のことで、ヨーロッパ留学を予定していた長女について占ってもらうために個人鑑定を受けたと言う。
 このとき細木から 「この恥知らず」 と罵倒され 「この子は23歳で自殺する。 そういう因縁を持っている」 と脅された。 「因縁を切るためには 『五輪塔』 の墓を建てることだ」 と言われ、後日開催される 「勉強会」 に参加するよう勧められた。
 この間、約10分で鑑定料は6万円。
 2週間後、東京で開催された勉強会( 参加費一万円 )に参加したAさんは、細木が力説する五輪塔の重要性を聞くが、結局あまりにも高額であるため夫が許してくれず、このときは墓を買うことはなかった。

 ところが3年後の1988年に夫はガンで死亡。 娘はヨーロッパ留学へと旅立つことになった。 夫が亡くなることで不安を感じていたAさんの目に 「六星占術 細木数子特別講演会 入場無料」 と書かれた新聞広告が留まった。
 無料ということで参加してみると、300人ほどの聴衆が集まっており、講演内容は 「因縁や祟りをなくすために墓を建てなさい」 というものであったと言う。
 講演が終わると有料の 「勉強会」 への参加を促され、Aさんは、再び個人鑑定を受けることになった。 このときに持参させられたのは、鑑定料20万円と戸籍謄本、家系図、墓と仏壇の写真であったと言う。
 Aさんが 「夫が亡くなり経済的にも苦しい。 留学中の長女も心配だ」 と悩みを相談すると細木は 「ほら、みてごらん。 あんたのようなバカは見たことがない。 私の言ったとおりにすればご主人は死ななかった」 と言い放ち、持参させられた墓の写真を見せると 「こんなの墓じゃない。 このままでは不幸がどんどん起こる」 と脅されたという。
 そこには石材店の社長や社員が同席しており、その場ですぐに契約の話になった。 このとき 「夫が亡くなり経済的にも苦しい」 と窮状を訴えたが 「借金してでも買わないと大変だ」 と言われた。 その後再三Aさん宅を訪れた久保田家石材商店の社員と細木の秘書に説得され 「細木先生の言うことに間違いはない。 借金をして墓を建てても必ずうまくゆく」 結局、自宅の土地を担保に銀行から借金することになった。
細木が示した図面にもとづき、久保田家石材商店と交渉の結果、墓石代( 据付工事含 )約900万円、墓園の永代使用料が約100万円、そして旧墓の解体料なども含めると、総額で1000万円以上の額になった。

 訴状によれば 『( 執拗な勧誘により )一種の思考停止状態に陥って、返済の目途のないまま』 借金をして墓を買ったため 『運勢が上向くどころか、たちまちその返済に窮し、他に収入の途もなかったことから経済的に追いつめられ、借入金返済の重圧に苦しみぬくことになった』 とあり 「細木講演会」 → 「勉強会」 → 「個人鑑定」 の最終目的は 「墓石の販売」 であるにもかかわらず、その目的を隠して、顧客の不幸、不安につけこむ詐欺・脅迫的な違法行為だと指摘している。

 さらにAさんが依頼した弁護士が、800万円余で購入した墓石を別の2業者に見積もらせたところ、2業者とも約200万円との見積もり結果を出した。

 この裁判は訴えから3年後の1996年12月26日に、なぜか原告が提訴を取り下げた。

 上記のケースについては日本共産党の機関紙でも紹介されている。

 『しんぶん赤旗』 : 「現代こころ模様・葬儀考」 第4部 「『墓』 と人生」
お墓と“たたり”

 木の下の墓は病人が絶えない。 墓地に小石を敷き詰めると異性問題が起こる。 自然石は血縁が絶える ……。 「墓相学」 によく出てくる話です。 「墓相」 とはお墓の手相や人相のようなもの。 墓相鑑定にかなった良い墓を「 吉相墓」 と呼びます。 逆に鑑定に逆らう墓を建てると「 たたり」 に見舞われる。

 十年余り前、この 「墓相」 が大流行しました。 墓相鑑定で 「このままでは災難にあう」 と脅され、超高額の墓を買わされた。 そんな、霊感商法ばりの事件や裁判が各地で起きました。

 その後、下火になったかに見えていたけれど、実はいまも根強い影響力を持っています。 この間の取材でも、各地の墓地で 「吉相墓」 を見かけました。 占術師の細木数子さんも最近、テレビの墓相発言で物議をかもしています。

 「六星占術」 「大殺界」 や 「ずばり言うわよ」 と、話題の多い細木さん。 16歳でミス渋谷、10代から喫茶店やクラブを経営。 1975年には、借金地獄で苦しむ有名歌手の後見人として数億円の負債を解決。 同歌手の超高級マンション( 東京・赤坂 )を入手したとして話題になりました。

 83年には45歳の細木さんと85歳の陽明学者・安岡正篤氏の再婚騒動。 安岡氏は昭和天皇がラジオ放送した敗戦詔書の原稿作成にかかわり、吉田茂、岸信介、福田赳夫など歴代首相の陰の指南役としても知られています。 安岡氏の死去( 同年12月 )直前に、細木さんが 「婚姻届」 を文京区役所に提出。 安岡家側が 「婚姻無効」 を東京地裁に訴えるという騒ぎになりました。

 そんな話題のなか、細木さんは82年 『六星占術による運命の読み方』 で占い界にデビューし、一躍売れっ子に。 その占いの主要舞台が 「墓相」 の世界でした。

 この間、細木事務所に取材を申し入れていますが、回答がありません。

10万円の個人鑑定料

 墓相ブーム当時、細木数子さんの 「勉強会」 に出たことがあります。 各地でおこなう講演会。 会費は1万円でした。

 入念な化粧。 大柄な身を白いドレスでつつみ、大きな指輪。 いきなり、こう言いました。

 「テープをとるのはやめていただきます。 1万円でテープまでなんて、おこがましいよ」

 「先生」 ── 細木さんは自分のことをそう呼びました。 「先生くらいになると占いなんていらない。 ( より高い次元の )心照学を極めているから」。 それは恩師安岡正篤から学んだ陽明学にも裏付けされている、と説きます。

 男女の関係を心得違いしてはいけない。 おろかな女が 「男女平等」 を唱えて失敗する。 男が妻側の姓を名乗ると、( 家系が絶えて )小児マヒやうつ病の子が生まれる。

 「ショウコン脚下」 「ウンゼンの差」 など意味不明の言葉も出てくるけれど、とにかく断定的な語り口です。

 休憩。 後半は墓の話に集中しました。 人の死後、骨肉の争いが起きるのは墓が悪いから、墓にカネをかけていないから。 旧来の墓では 「正しい供養」 はできない。

 「石原裕次郎の骨を海にいた。 骨は土に返さなければならない。 だから石原家は絶家する」

 逸見政孝、松尾和子、勝新太郎 ……。 「豪邸を建てる前に、なぜ1千万円、5千万円の墓を建てなかったのか。 ( この人たちの不幸は )墓が悪いからだ」

 分家が墓をまつると本家は絶滅する。 二男、三男が相続すると長男は1年以内に死ぬ。 長男の長男は行方不明に ……。 なぜそうなるのかの説明はまったくないけれど、不安が会場に広がります。

 そこで救いの手 ──。 「( 後日に )鑑定してあげる。 墓の写真を見て、指導してあげる」

 勉強会終了後、聴衆は個人鑑定の予約に殺到します。 個人鑑定料は10万円。

石材会社と連携した細木数子勉強会で教えられた望ましい墓とは

 先祖が眠る場所だから3坪( 9.9平方メートル )は欲しい。 そこに五輪塔を建て、墓石は夫婦単位で。 外柵がいさくはコンクリートでなく石材。 骨はツボから出して布で包み、カロートでなく土に返す。 地面は砂利でなく赤土と鳥取砂丘の砂を7対3で混ぜ、3ヵ月に1回は補給を ……。

 すべての条件を満たせば相当の費用になります。 そんな勉強会を経て個人鑑定を受けた人は、こんな体験をしています。

 佐賀県の女性は夫の死や娘の将来で悩んでいました。 個人鑑定で言われたことは、 「あんたはばかだ。 正しい墓を建てないから夫は死んだ。 借金してでも五輪塔を」。

 次の間に控えていたスタッフから墓の形や費用の説明を受けて契約。 墓石代や永代使用料で1千万円を超しました。 残ったのはローンの返済苦。

 京都市の男性。 身内の不幸に気を病んだ妻が個人鑑定を受けました。 スタッフと交渉のうえ、約1千万円の墓を契約しました。

 個人鑑定に控えていたスタッフ。 実は京都市に本社がある久保田家石材商店の社員でした。 64年、久保田茂太呂社長( 当時 )が 『世にも不思議なお墓の物語』 を出版し、 「吉相墓」 で急成長した会社です。 細木さんの説く墓相現象の多くが、この本にも載っています。

 細木さんの著書の巻末に、細木事務所本部と全国各地の連絡所一欄が載っていました。 本部事務所は東京駅前の久保田家石材関連企業の事務所。 他も大半が同社の支店や営業所でした。

 その後、両者の関係は絶たれたけれど、久保田家石材幹部はかつて、 「細木先生を通じてウチにきはるお客さんで、年間10億」 ( 『週刊文春』 90年8月16日号 )と語っています。 細木さんたちだけではありません。 「吉相墓」 を売り出す石材店はそれぞれ 「墓相家」 を抱えています。 「10人の墓相家に聞けば10通りの墓が必要になる。 墓相とはそんなものですよ」 ── 全日本墓園協会幹部はそう語りました。

「ずばり言う」 けれど ……
   「ずばり言うわよ」 の細木数子さん!
      あなたは著書にこう書いています

 「原因のないところに結果はありません。 …… すべての現象は、原因と結果という強固な糸でつながっています」 ( 『運命を開く先祖のまつり方』 )。

 墓が悪い( 原因 )から、不幸になる( 結果 )。 たしかにずばり言っているけれど、大事なことが欠けています。 なぜそうなるのかという説明です。

 「なぜ」 のない教え。 それは霊やたたりを売りものにする人々や 「宗教」 に共通する特徴です。 「ずばり」 の結論が相手に恐怖を与えるものであり、そこに物品の売買がからめば霊感商法と差はありません。

 「うちのは科学でっせ」。 吉相墓が主力商品の京都市の会社担当者が力説しました。 墓相家が各地の墓を調べた 「統計」 なのだと。 だが、そのデータは一切、示していません。

 典型的な例が五輪塔。 歴史をさかのぼると、墓地に五輪塔がある家系は社会の指導的立場にあった。 だから吉相墓に欠かせないという論法です。

 平安期半ばに登場する五輪塔は台石の上に球形やかさ状の石を重ねたもの。 物質の構成要素である地、 水、 火、 風、 空をあらわし、輪はすべての徳を具備する意味があるそうです。

 たしかに貴族や上級武士の墓所に五輪塔は多い。 だがそれは、権力や財力を持っているから五輪塔を建てたのであり、五輪塔を建てたから力や財を得たのではありません。 「なぜ」 の省略だけでなく、原因と結果を逆転させています。

 目につく限りの辞書や百科事典を見ましたが、墓相や吉相墓の項目自体がありません。 わずかに小学館 『日本大百科全書』 が、80行余りの「 日本の墓」 の項で言及していました。

 「 …… 世間には墓相のよしあしなどをいう者もあるが、これにはなんの根拠もない」

水子の“たたり” ……

 細木数子 「勉強会」 で、細木さんがこんな話をしました。

 「腰痛や腰から下の病気になるのは、水子供養をしてないからだ」

 「水子霊のたたり」 も墓相ブームと前後して大流行しました。 今も、水子供養で売る宗教や水子地蔵を販売する石材業者は少なくありません。

 霊視商法事件で教祖以下が有罪になり解散した本覚寺( 明覚寺に改名 )の前身も水子菩薩を扱う訪問販売会社でした。

 水子霊のたたり( 霊障 )はとにかく怖い。

 「戦慄せんりつすべきは 『水子の霊障』 である」 と説いたのは阿含宗の桐山靖雄管長。 解脱供養をしないと 「その怨念おんねんはいつまでも消滅しない」 「精薄児童、身体障害児を生じたり、あるいは、異常に親に反抗する子をつくる」 ( 『守護霊を持て』 )。

 本覚寺( 明覚寺 )はこうでした。 「( 水子をつくれば )家系の未来を自分自身の手でふさいでしまうのであるから …… 家族や子孫が幸せになることはとうてい望めない」 「いつまでも何らかの不幸をもたらす恐しい霊障であり、父母、兄弟姉妹、孫、ひ孫まで引き継がれていく」 ( 『霊視入門』 )。

 ここでも 「なぜ」 がありません。 実際、「 ( 因縁は )あるからある、というよりほかない」 ( 桐山氏『 人はどんな因縁をもつのか』 )とか 「体験によってのみ知ることができる」 ( 『本覚寺の真髄』 )という程度の説明しかありません。

  …… が、救いの道だけはあります。 水子地蔵を建てることや良い墓を建てることもその一つ。 「物施」 と称する金銭供養は欠かせない。 しかもそれは、「 精一杯」 でなければいけない。 「生活のゆとりの部分で布施したり、供養したりしても、仏には通じません」 ( 『本覚寺の反撃』 )。

 オウム真理教や、いまも活動中の統一協会も同様に説いてきました。

 ところで、この「 水子霊」、いつごろ始まった教えなのか、伝統的な宗教の教えなのでしょうか。

「水子霊」 の仕掛け人

 水子地蔵の供養という風習は江戸時代からありました。 当時は 「すいじ」 と呼んだそうです。

 堕胎することを 「水にする」、流産を 「水になる」 と呼び、水子すいじは流死産した胎児をさしていました。

 これに生後まもなく死亡した幼児も含めて、成人とは異なる葬送をし、一般の墓とは区別して埋葬するという民間風習もありました。 「( 水子は )人間の子と考えず、まだ神の子という考え方」 ( 平凡社 『大百科事典』 )だったからです。

 人の世の汚れにまみれていない水子が、人にたたるわけがない。 当時の水子供養はたたりとは無関係だったと考えられています。

 では、水子とたたりはいつ結合したのか。 弘文堂 『新宗教事典』 によると、寺などが水子供養を始めたのは昭和50年( 1975年 )ごろから。 だから、「 水子供養への関心の高まりは1970年代に入ってから」 と述べています。 岩波 『仏教辞典』 も、 「1970年代から」 と書いています。

 1971年、埼玉県秩父山中に 「紫雲山地蔵寺」 が完成。 落慶式には佐藤栄作首相( 当時 )らも参列しました。 建立者は反共右翼・紫雲荘の橋本徹馬山主。 若き日の美智子皇后の不眠症治療に協力したとされる人物です。

 寺の別名が “水子地蔵”。 水子の供養を売りものに、またたくまに1万体の水子地蔵を売りつくしました。

 これが水子ブームのはしり。 水子地蔵や観音を売る石材店が、全国に広がりました。 週刊誌もこぞって 「水子霊」 ものを載せました。

 1975年といえば戦後30年。 敗戦の混乱期、流産や中絶をせざるをえなかった女性は少なくありません。 そんな彼女たちの暮らしに一区切りがつき、つらいあのころを思い出すころです。 更年期にさしかかり、体調への不安と悲しい思い出を重ねあわせても不思議はありません。

 従来の素朴な水子供養に 「霊とたたり」 を持ち込むことで、人々の痛みや不安を増幅させ、法外ともいえる供養金をださせる。 こんなことが許されるのでしょうか。