細木数子を踏み潰す
 




 「現在、日本で最も有名な占い師は誰か?」 と言えば、それは間違いなく細木数子だろう。 テレビのレギュラー出演に加え、毎年出版している占い本はどれもベストセラーである。 さらに、これまでに出版した本の総販売部数は5300万部を数え、 「世界一占いの本を売った」 として、ギネスブックにも掲載されている。

 また 「六星占術」 は、長年にわたり中国古来の万象学、算命学、易学の研究を行った結果、細木数子が独自に編み出したものだというし、彼女は、陽明学の大家、故・安岡正篤氏の弟子でもあるという。
 自著のプロフィールでは、 「安岡正篤氏と出会い、六星占術は単なる占いの域を越えた “人間学” にまで高められた。 自然界のリズムにのっとった人間の生き方を絶えず追求し、荒波にもまれている人々に、つねに適切な指針を与えている」 とも書かれている。

 これだけ見れば、いかにもスゴイ人物のように思えるだろう。

 しかし、本当のところはどうなのだろうか? 六星占術のもとになるものは4000年前からあったというのは本当か? 安岡氏の弟子だったというのは? 「六星占術の極意」 とまで言い、実行したものは一人の例外もなく幸せへの道を歩んでいるという “細木流” の 「先祖供養」 は本当に効果があるのか? これらのことについて検証してみることにする。

まずは 「細木数子」 本人の実態について
 本人の評価と占いの評価は別の問題だが、実態について知ることは、細木数子の言動不一致や、多くの矛盾に気付く良い機会となるだろう。

続いては 「六星占術と大殺界」 について
 六星占術の的中性や、大殺界の仕組み、細木数子が 「寸分の狂いもない」 と豪語する予言の結果について見ていきたい。

最後は 「先祖供養」 について
 この先祖供養とは “普通の” 先祖供養のことではなく、 “細木流の” 先祖供養のことだ。 彼女によれば 「六星占術の極意」 だそうで、細木数子の主張の根幹をなすものである。 “細木流の” 先祖供養が、いかに無意味でトホホなものか徹底的に見ていきたい。





「細木数子」 本人の実態について

 細木数子は昭和13年4月4日、東京都渋谷区の円山町に、8人兄妹( 三男五女 )の四女として生まれた。 小学一年のころに父を亡くし、経営していたバー 「ロマンスクラブ」 ( 後に 「南海」 → 「千代」 と改名 )を、 「娘茶屋」 というおでん屋に替えて、母親と女姉妹5人で営む。 細木数子も13歳のころから店の手伝いをしていたという。

 成徳学園高校( 現・下北沢成徳高校 )に通っていた16歳のころには、ミス渋谷に選ばれる。 店の常連客が、タバコを買うと付いてきた投票券を使って投票してくれたらしい。

 17歳になると高校を中退し、店の手伝いと客のチップを貯めていた金をもとに、喫茶店 「ポニー」 を開店する。 しかしわずか半年で売却。

 その資金をもとに、1957年には新橋駅近くにクラブ 「潤」 をオープン。 翌年には売却し、成城学園駅前に、子ども洋服店 「バンビーノ」 を開店。 さらに翌1958年には、銀座にバー 「かずさ」 をオープン。 同じ年、静岡の老舗の一人息子と結婚する。( すぐに離婚 )

 この1957年~59年の3年間は、細木数子にとって大殺界の期間だった。 この大殺界の過ごし方について現在の細木数子は、 「新しくことを始めるのはタブーであり、事業はもちろん結婚も絶対にしてはダメ」 というようなことを言っている。
 しかし結婚こそ一週間( 正式に離婚したのは3ヵ月後 )でダメになったが、事業については大成功である。 これは後の大殺界にも当てはまることだ。 詳しくは 「六星占術と大殺界」 のページで触れよう。

 1961年になると、銀座にバー 「だりあ」 をオープン。 「かずさ」 はクラブに。 64年には、赤坂にディスコ 「大使館」 をオープン。 翌65年には世田谷に自宅を新築。 1970年には赤坂にクラブ 「艶歌」 を開店。 絶頂期を迎えるも、同じ年に10億円の詐欺に引っ掛かり、自宅も店も抵当に取られる。

 細木数子が占いに興味を持ち始めたのは、この人生のドン底の時期である。 赤坂の豊川稲荷で、占い師にみてもらったのがキッカケだという。 しかし本人が 「占いで人生は変わらない」 と言っているとおり、このドン底から救ってくれたのは占いではなかった。 彼女を救ったのは、自身の天才的な商才だったのだ。

 1972年に債権者を説得して再開した、赤坂のクラブ 「艶歌」 は大繁盛し、75年には借金をほぼ完済する。 そして、同年にディスコ 「マンハッタン」 をオープンし、ここでも大儲け。 『文藝春秋』 2004年11月号のインタビューでは、このときの儲けぶりについて、細木は次のように語っている。
 「ザックザックと金が入った( 笑 )」
 「どのくらいすごいかというのは、もう税金ノーパスだから言うんだけど、ポリエチレンの大きなゴミ袋に金をザックザク入れて足で押し込んでも溢れるくらい」
 「10億円の詐欺に引っかかった」 という話は、よく苦労話として細木数子本人が利用している話だが、実はその借金自体はわずか数年で完済してしまい( さすが金儲けの天才 )、その後は以前と変わらず、というより以前にも増して儲けていたのである。

 ここまでの細木数子は、現在のような 「占い師」 ではなかった。 彼女が占い師としてデビューするのは、島倉との騒動から2年後、1982年のことである。

 この年に、彼女にとって初の占い本 『六星占術による運命の読み方』 ( ごま書房 )を出版する。 しかし、これは当初から計画されていたことではなかった。

 『文藝春秋』 ( 2004年11月号 )の中で細木数子の対談が載っているが、それによれば 「銀座や赤坂で一世を風靡した女の半世紀として書かれた原稿を、ごま書房の社長が占い本として書き直すよう助言」 した結果、あの本が生まれたという。

 つまり、細木数子がよく書いている 「長年にわたり、中国古来の算命学、易学などを研究した結果、六星占術を独自に編み出した」 という言葉からは、いかにも前々から計画性があって占い本を出したのだと勘違いしてしまうが、実は出版社の社長の思いつきの結果生まれた、というのが真相だったのである。

 1983年になると、細木数子が 「先生」 と呼ぶ、故・安岡正篤氏と出会う。 著書でも必ずと言っていいほど名前を出し、安岡氏の 「弟子だった」 などとも言われれば、いかにも長い付き合いがあったのだと思うだろう。 しかし、彼女が安岡氏に初めて会ったのは1983年3月。 そして氏が亡くなったのは同じ年の12月である。 その間わずか9ヶ月。 しかも安岡氏は、10月に病気の療養のため高野山に移されている。 つまり2人が一緒だった期間は、実質7ヶ月しかなかったということだ。 決して長い付き合いがあったわけではないのである。





「六星占術と大殺界」 について

 伝説で書いたことは、すべて細木数子が自著の中で書いていることだ。 さすがに天性の商売人だけあって、見事に客のツボを心得ている。 しかし、書いてあることが事実かどうかとなると非常に怪しい。 矛盾も多い。 たとえば細木数子は、 「この占いは統計学をもとにしています」 とよく言うが、実際に肝心の統計データが示されたことは過去に一度もない。 ようするに口だけなのである。
 以下では、この占いの実像についてさらに詳しく見てみよう。

 まずは、この占いのルーツとして書かれている、 「六星占術は中国に4000年以上前から伝わる易学、万象学、算命学をもとに編み出された」 という話は本当かどうかについて。

 細木数子は、著書によって書いていることがバラバラである。 1982年に出した初の占い本 『六星占術による運命の読み方』 ( ごま書房 )では、「 六星占術とは、中国に4000年以上前から伝わる万象学、算命学などをもとに、私が編み出したものです」 と書いているが、 「易学」 をもとにしたとはどこにも書かれていない。 しかし、3年後に増補改題版として出された 『運命を読む 六星占術入門』 ( ごま書房 )になると、今度は 「万象学」 と 「算命学」 をもとにしたという話はどこかに消え、同じ箇所で 「六星占術とは、中国に4000年以上前から伝わる易学をもとに、私が編み出したものです」 と書き換えられている。

 ルーツって変わるものなのか???

 自分の先祖が3年前も現在も変わらないように、なにかを基にして編み出した占いでも、その基にしたものは時間が経っても変わらないはずである。 しかし現実には話がスリ替わっている。 おそらく 「易学」 に突然スリ替えた理由は、安岡正篤氏の名前を利用するためだろう。
 というのも、安岡氏は 『易と人生哲学』 や 『易学入門』 など、易に関する本をいくつか書いており、安岡氏の弟子を自称する細木数子にとっては、 「六星占術は易学をもとに編み出された」 と書いたほうが安岡氏との関係を印象付けることができ、なおかつハクづけにもなるので好都合だからである。

 次に、「 算命学」、「 易学」、「 万象学」 の3つが 「4000前からあった」 という話についてはどうか。 ハッキリ言えば 「4000年前からあった」 という証拠など、どこにもない。

 もとにしたものについては、算命学に関しては共通点が多い。 しかし、 「易学」 と 「万象学」 をもとにしたという話は99.9%ホラ話だろう。 実際に比べてみれば分かるが、この2つと 「六星占術」 の間には結びつくものはなにもない。

 ここからは、この占いの仕組みについて書いていこう。
 まず、知らない人のために大ざっぱに説明しておくと、六星占術とは生年月日から人を6つの星人( 土星人、水星人、金星人、火星人、木星人、天王星人 )に振り分け、各星人ごとに12の運気( 種子、緑生、立花、健弱、達成、乱気、再会、財成、安定、陰影、停止、減退 )が巡ってくると主張する占いである。

 この12の運気の中でも、 「健弱」 は小殺界、 「乱気」 は中殺界、 「陰影」 「停止」 「減退」 は大殺界と呼ばれ、よくないことが起こるとされている。 これらの時期、とくに大殺界の時期は注意が必要で、もしこの時期に新しくことを始めると必ず不幸を招き、その影響は子孫の代にまで及ぶことになるという。

 六星占術が恐れられるのにはこの殺界の影響が大きく、過去の自分の運勢を見てみたら、不幸が起きたときは 「すべて殺界の時期だった」 と言って、この占いはスゴイ占いだと勘違いしてしまっている人も多い。 しかし実際に調べてみれば、殺界の時期に不幸があることなど別に驚くことではないことがわかる。

 まず 「大殺界」 についてだが、これは12年のうち3年間という長い期間が当てはまる。 さらに六星占術では、年運だけでなく、月運、日運もある。 試しに年と月だけで計算してみると、実に人生の43.75%( 12年のうち5年3ヶ月 )が大殺界になってしまう。 これに 「中殺界」 を加えると55.56%( 12年のうち6年8ヶ月 )、 「小殺界」 まで加えれば65.97%( 12年のうち7年11ヶ月 )が殺界に当てはまってしまうのだ。
 さらに 「日運」 や 「相性運」 まで考慮に入れれば、70パーセントを超えることになるだろう。 すると人生の7割以上が凶運期ということになってしまう。

 これでは、異常に多く 「当たり」 が仕込まれたクジを引いているようなものである。 「なんかついてないな~」 と思って六星占術で占ったら、殺界にブチ当たるのも当然だろう。

 ここでは 「大殺界」 について、さらに詳しく見ていこう。
 この “冬の時期” だけでも、人生の43.75%にもなることはすでに書いた。 これだけでも2分の1に近い確率なのだから、かなりのものだが、実はこれ以外にも当たりが水増しされる要素はあるのである。

 細木数子が初めて結婚したのは21歳のときである。 彼女にとって、この年の運気は 「減退」 だった。 つまり大殺界である。 結局わずか3ヶ月で離婚することになるのだが、当然この離婚は 「大殺界に結婚したから」 という理由で “当たり” としてカウントされている。 しかし調べてみると、結婚した年は 「減退」 の大殺界だが、離婚した年は 「種子」 という運気のときなのである。 もしこれが逆だったらどうだろう。 つまり、結婚した年は 「種子」 ( 殺界以外ならなんでもいい )で、離婚した年が大殺界だったら?
 当然、この場合も “当たり” としてカウントされるだろう。
 しかもこれは離婚以外にも当てはまる。
 例えば、誰かが事故を起こしたとしよう。 当然、その年が大殺界であれば “当たり” としてカウントされるが、もしその年が大殺界でなかったとしても、免許を取った年、もしくは月、日が大殺界の人であれば( たくさんいるだろう )、 “当たり” としてこじつけることが可能なのである。

 このほかにも、就職、引越し、出産、ケガなど、 「始めた時期」 と 「不幸があった時期」 の両方に当たりをこじつけることが出来るものはたくさんある。

 さらに 「不幸」 という言葉自体が非常に曖昧だ。 小さなことから大きなことまで、考え方次第で不幸だと思えてしまうことなど多くある。 とくに、ツイてないときや落ち込んでいるときなどは、後から振り返ってみれば大したことないと思えることでも、そのときは深刻に悩んでしまったりするものだ。

 続いては大殺界の過ごし方や、著書やテレビなどで細木数子が言っている説教など、本人はちゃんと実行しているのかについて。

 まずは結婚。 細木数子は、 「女は家庭に尽くすものだ」 と言っている。 さらに 「結婚後も働くなど天地自然の法則に反した行いだ」 とも言っている。 しかし本人は、自分が言っていることを実行していない。 最初の結婚では夫の家族とソリが合わず、わずか一週間で家をとびだしている。 人に 「我慢」 だの、「 忍耐」 などと説教できる立場ではないのである。 また結婚後の仕事についても 「結婚したら家を守ることに専念」 するべきだと言い、 『六星占術 心の常識』 ( 主婦と生活社 )の中では、自分が言っていることはさも守れているかのように 「事実、私自身、いまもこうして仕事にはげんでおりますが、私は結婚をしておりません」 と書いている。 だが実際に結婚していた時期はどうだったのかというと、最初の結婚では、結婚後の小遣い源として 「バンビーノ」 という子ども洋服店をわざわざ開業して仕事を続け、2度目の結婚でも占い師を廃業したりなどしなかったのである。 ようするに人に偉そうに語っておきながら、自分は実行などしていないということだ


大殺界に人生を左右するような新しいことを始めてはいけない

(1) 転職なんて絶対にダメ!

 細木数子は、 「大殺界に人生を左右するような新しいことは始めるな」 と言っている。 このタブーを破ると、必ず不幸が訪れ、その影響は子孫の代まで及ぶという。 当然、言いだしっぺなんだからこのタブーは守っていると思うだろう。 だが実際には、ここでも口先だけで言っていることを実行していないのである。
 そもそも、初の占い本 『六星占術による運命の読み方』 を出版した年が大殺界だった。 この本では、堂々と 「大殺界では転職はタブー」 だと書いているが、実業家から占い師に転職した自分は例外なのだろうか?
 さらにその後に出版された 『決定版・大殺界に克つ相性』 ( 小学館 )では、 「初めての本を出したのが “大殺界” のときだったのです。 その当時私は、正直申し上げて “大殺界” をどう過ごすかということについての確信がまだありませんでした。 というか “大殺界” の時期は、とにかく何もしないでじっとしているしかないと考えていたのです」 と、まったく矛盾したことを書いている。

(2) 結婚なんて絶対にダメ!

 83年の大殺界のときは 「絶対にダメ」 だと言っていた結婚までしている( 結局2度とも大殺界 )。 しかも結婚誓約書に書いてあることを無視してまで強引にすすめた結婚である。 これは細木数子がよく言っている、 「大殺界の時期は判断力がおかしくなる」 結果の暴挙だったのだろうか? それとも、 「大殺界を過ぎるのを待っていたら安岡氏は亡くなってしまうかもしれない。 すると安岡氏の妻というビッグ・チャンスを潰すことになる」 という 「したたか」 な判断の結果起こしたことだったのだろうか。
 どちらにしろ、 「大殺界に結婚をするな」 という言葉を、本人は守っていないということだけは確かである。

(3) 土地を買うなんて絶対にダメ!

 細木数子は2005年から “大殺界” である。 にもかかわらず、京都に75000坪の山を買う予定だという。 さらに、テレビのレギュラー番組は降板せずに続行。 この矛盾について 『新潮45』 の記者がツッコミを入れた。
 「会員たちに説く “大殺界” では、 『殺界時には、なにもしないでジッとしていなさい』 と言っているではないか」
 これついて細木数子は次のように言い返す。
 「そのとおりよ。 でも私は前の殺界時に修行したから跳ね返す力があるの。 その過程はまた改めて詳しく話すけどね」
 これを読んで、私は次のような光景を思い浮かべた。
 「どこかの教祖が、信者には苦しい修行を命じている。 しかし自らは贅沢な暮らしをしている矛盾を指摘され、教祖は苦しい言い訳をしてその場をしのぐ」

(4) タブーを破ると必ず不幸が訪れる!

 大殺界が恐れられるのには、 「この時期に新しくことを始めると、そのことで必ず不幸を招く」 と言われていることが原因の1つと言えるだろう。 だが、これについてはまったく心配する必要がない。 細木数子は、大殺界のときに初めての占い本 『六星占術による運命の読み方』 を出版した。 「必ず不幸を招く」 というのが嘘ではないのなら 「六星占術」 の本はすぐに消えていたはずである。 しかし、この本は70万部のベスト・セラーになった。 さらにその後も六星占術関連の本は売れ続け、現在では5300万部を突破。 「世界一占いの本を売った」 としてギネス・ブックにも記載されている。
 皮肉なことだが、 「大殺界に新しくことを始めると、そのことで必ず不幸を招く」 という主張は、それが書いてある本自体によって大嘘であることが証明されているのである。


最後は六星占術のパクリ疑惑について

 この占いは、 「算命学」 と 「0学占術」 という2つの占術と酷似している部分が多い。

 まずは 「算命学」 との類似点。 六星占術では “運命数” と呼ばれるものを生年月日から計算して出す。 実はこの計算方法は、算命学宗家・高尾義政氏の本に載っている運命数の計算方法とまったく同じである。 さらに、六星占術の本に載っている 「運命数表」 と、高尾氏の本に載っている 「基本運命数早見表」 も、 「1」 が 「61」 になっているところを除けば、明治から平成まですべて同じである。

 次に 「0学占術」 との類似点。 「0学占術」 とは、御射山宇彦という人物が昭和15年に考案した占いである。 具体的にこの2つの占いがどれだけ似ているかというと、 「運命グラフの周期は12年。 さらに12ヶ月で一巡する月運、12日で一巡する日運がある」、「 生年月日で6つの星に振り分ける」 「さらに、6つの星には陰と陽がある」、 「『 0星』 を中心とした前後3年間および3ヶ月間が 『0地帯』 という “冬” の時期がある」 「この冬期には、背信期、0地点、精算期がある( 六星占術でいう、陰影、停止、減退 )」

 六星占術を知っている人なら、誰が見ても酷似していることに気が付くだろう。 しかし細木数子は、 「0学占術」 の名前はもちろん、創始者の御射山宇彦氏についても一切触れようとしない。
 この明らかなパクリに対して、細木数子に占いを教えた新宿の女性占い師( 御射山氏の弟子 )は、 「自分の信奉する 『0学占術』 を盗用した」 と怒っているそうだ。



 「05年から3年間は大殺界に入るから、その間はおとなしくする」 と公言していた人気占い師の細木数子(67)。 だが、おとなしくなるどころか、テレビに出ずっぱりで相変わらずブイブイいわせている。 それが原因とも思えないが、細木を震撼させるような疑惑が浮上し始めた。

 細木の看板である占い手法 “六星占術”。 細木は六星占術を 「長年の研究の末、独自に編み出した」 と自著で説明していたが、 「細木さんの六星占術は実は “ゼロ学占星術” という占いのパクリといっていい。 0学は土星、金星など12の星のタイプに分けて占いますが、六星占術は6つの星で占う。 しかし、これは0学の星数を半分にしてプラスとマイナスをつけただけなのです」 ( ある占い師 )

 0学の方式や早見表は特許・実用新案として認可・登録されており、無断使用は許されないという。 「六星占術のパクリ疑惑は去年くらいから囁かれていました。 でも細木さんが出演すると視聴率が稼げるし、本を出せば確実に売れるからテレビ局も出版社も頭が上がらない。 ワイドショーや週刊誌も報じないのは当然です」 ( マスコミ関係者 )細木の個人事務所に疑惑について見解を聞くと「 細木先生は出張中で回答できない」 ( 事務所 )とのことだった。
日刊ゲンダイ【 2005年10月15日掲載 】
 これについては 『大久保占術研究室』 と言うサイトが詳細に解説しているが、四柱推命と言う古典的な占いの一部を抜粋したに過ぎないようだ。

 ここまでを見てきてわかるのは、大まかに以下のとおり。
(1)「 六星占術」 は、中国4000年の昔からある占いをもとにしたという主張は極めて疑わしい。
(2)「 六星占術は統計学」 と言うが、肝心の統計データは一度も示されたことがない。
(3)大殺界だけでも人生の43.75パーセント。 中殺界を入れると55.56パーセント。 小殺界まで入れれば人生の65.97パーセントが凶運期になってしまう。 さらに日運や相性運、「 始めた時」 と「 不幸があった時」 などに分けられる事例なども考慮すれば、当たりはさらに水増しされる。
(4)説教から大殺界のタブーまで、本人は口先だけで実行できていない。
(5)「 大殺界に新しく何かを始めると必ず不幸を招く」 という主張は、そのことが書いてある本自体によって嘘が証明されている。
(6)細木数子の六星占術をもとにした予言は 「恐ろしいくらい」 的中率が低い。
(7)六星占術は、70年代から80年代にかけての占いブームに便乗した非常に安直な占いであり、なおかつシステム自体も 「算命学」 と 「0学占術」 から “パクった” と指摘されてもしょうがないようなオリジナリティのないものである。
 ここまで書いても、おそらく強固な信仰心をもっている人は変わらず信じ続けることだろう。 しかし、わずかに疑問を持っている人や、悩んでいる人などは是非考えてほしい。

 『予言の心理学』 ( KKベストセラーズ )という本の中で、著者の菊池聡氏は次のように書いている。
 「知ることこそ第一歩であり、考えるための最大の力になる」
 「予言について懐疑的に考え、情報を集め、自分で判断してほしい。( 中略 )盲信して思考を停止させることこそ、私たちがよりよく生きる道をふさぐ行為となる」

 健全な懐疑精神を持つことは、占いや予言を盲信しないための予防薬となる。 疑うことは決して悪いことではない。 もし本当に当たる占いがあるのなら、徹底した懐疑にも耐え、見事にその力を証明してくれるだろう。 しかし懐疑することでボロが出てしまうような占いなら、その程度のものだということだ。

 あなたがこの占いについて懐疑的に考え、情報を集め、自分で判断していただけるようになれば幸いである。





“細木流” 先祖供養のトホホな実態について

 これを実行したところで効果などないことは、細木数子の実弟が証明してくれている。 また、この実行に莫大な金がかかることも紹介したとおりである。
 そこで、この項では他のトホホぶりについて見ていくことにしよう。 まず重要なことは、細木数子は “細木流の” 先祖供養が大事だと言ってるのであって、普通の先祖供養は無意味なことだと否定しているということである。

 『幸せになるための先祖の祀り方』 ( KKベストセラーズ )の中では、( 普通の先祖供養について ) 「懸命に努力しても、それは実りません。 それどころか、すべてが八方ふさがりになってしまいます。 その結果、幸せはあなたの手から去っていってしまうのです」 と真っ向から否定している。

 これが書かれているのは本の冒頭部分で、読者からすれば( 先祖供養をしていない人だけでなく、日頃から心を込めて行っている人まで )、自分が行ってきた先祖供養は無意味なことだったと否定されるわけである。 しかも、そんな先祖供養では不幸になるぞ、という脅し付きで。 当然不安になって読み進めると、第一章から 「この一家の信じられないような修羅」 などというタイトルの不幸話があり、その後も次から次へと脅しのオンパレードである。
 ただし、単に脅すわけではない。 脅しの後に 「細木流の先祖供養をしたら救われた」 という話をつけたり、細木数子にとって困ること ― つまり、細木流の先祖供養ではなく、仏教などの既存宗教での供養や、近年注目されている 「散骨」 など、墓石や墓地が不要な供養法を実行されるのを防ぐため、それらを実行すれば恐ろしい祟りがあると脅すのである。
 もちろん、これらの祟りについて信頼できる根拠などまったく示されていないのは言うまでもないことだが、次から次へと断定口調で話を進められると、この根拠のない与太話が何か説得力のある話だと錯覚してしまい、不安になってしまう読者も多いことだろう。 ただ、この本がよく考えて書かれているのは確かだが、読む側も良く考えて読み進めれば、そう簡単に惑わされることはないと思う。 例えば細木数子が墓石に関する祟りについて述べている箇所がある。 このとき、何も考えずに読んでいると、そのトホホぶりに気付かないが、ちょっと立ち止まって考えれたり調べたりすれば、実にアホらしい話だと気付く。
 墓石が一般でも使われるようになったのは江戸時代中期からである。 その当時ですら、ほとんどの庶民は墓石など建てず、土を盛っただけの 「土まんじゅう」 という墓が一般的だった。 また、現在私たちが 「常識」 として持っているお墓に関するスタイルが全国的に普及したのは、明治以降、さらに普及したのは昭和30年代以降のことであり、決して太古の昔から連綿と続いてきた常識などではないのである。
 もし細木数子が言っている祟りが事実なら、日本人はとっくの昔に滅んでいたことだろう。

 またこの他にもトホホな話はある。 細木によれば 「六星占術は中国に4000年以上前からあった」 という話であり、 「歴代王朝に秘伝として伝えられてきた」 そうだが、その六星占術の 『極意』 だという先祖供養の話は、なぜか1964年に久保田家石材商店の2代目社長が出版した、 『世にも不思議なお墓の物語』 ( 大国教会 )という本の内容と酷似しているのである。
 ちなみに、この本では 「墓相」 の良し悪しについて書かれているが、 『日本大百科全書』 ( 小学館 )の墓の項では、 「世間には墓相の良し悪しなどをいう者もいるが、これにはなんの根拠もない」 と斬って捨てられている。 また、墓相について書かれた本に詳しい社団法人全日本墓園協会の稲村吉彦事務局長も、 「十人の墓相家に相談すれば、十通りの墓をつくらなければならなくなる。 墓相とは、そういうものですよ」 と、そのトホホな実態について語っている。

 もう十分だろうか? いや、徹底的にと書いた以上、さらにダメ押しとなる事実をご紹介しよう。

 『昭和虚人伝』 ( 文藝春秋 )の著者、佐野真一氏の取材によれば、細木数子が前出の仏壇屋 「翠雲堂」 と知り合ったのは1983年頃のことで、石材屋「 久保田家石材商店」 と知り合ったのは1985年のことだという。 もし細木数子がこれよりも前から先祖供養について書いていたなら、少しはその主張を見直すこともできるだろう。 でも、実際はどうだったのだろうか? 以下は細木数子が初期の頃に出版した全5冊と、その出版年である。

 『六星占術による運命の読み方』 ( ごま書房 ) 1982年
 『六星占術による相性運入門』 ( ごま書房 ) 1983年
 『大殺界 「家康」 に学ぶ運命操縦法 』( 講談社 ) 1984年
 『大殺界 相性占術』 ( 祥伝社 ) 1984年
 『運命を開く先祖のまつり方』 ( 世界文化社 ) 1985年

 この中で先祖供養の話が出てくるのは、1985年に出版された 『運命を開く先祖のまつり方』 だけである。 つまり、業者と知り合う前に出版された本では「 先祖供養」 の話など出てこないにもかかわらず、業者と知り合った後に出版された本になると、突然 「先祖供養をしないと祟りがある。 お墓を建てなさい」 という話が出てくるのである。
 そんなに大事ならもっと前から主張していれば説得力もあったのだろうが、実際には途中から言い出した( 墓石業者と知り合った後に )というのが真相だったのである。 もうここまで読まれた方なら、 “細木流の” 先祖供養のトホホぶりが良くわかっていただけるだろうが、念のため最後にまとめておこう。
(1)細木流の先祖供養を実行しても幸せになどなれないことは、細木数子の実弟によって証明されている。
(2)「 業者とは組んでいない」 という話はよく強調されるが、実際には大嘘であり、最新の平成18年度版にも住所が載っている京都事務所は、実は墓石業者の本店である。
(3)徳を積むことが大事だと口では言ってるが、実際には1000万円近いお墓を相談者に勧めている。
(4)細木数子は“細木流の”先祖供養が大事だと言ってるのであって、普通の先祖供養は無意味なだけでなく不幸を招く行為だと否定している。
(5)細木流の「 先祖供養」 の大切さを力説しているわりには、墓石業者と知り合う前には先祖供養の話など書いたことがなかった。
 あとひとつ突っ込んでおかなければならないのは、細木数子や自称霊能者がよく言う 「先祖の祟り」。 聞き慣れた言葉なのでもっともらしく聞こえるが、これを率直に言い直せば先祖による陰湿な嫌がらせである。

 自分( 先祖 )の嫌がらせによって子孫が不幸になり、苦しむ。 これが本当に先祖の望むことなのだろうか?
 どんなに 「眼が覚めました」、 「先祖供養の大切さが分かりました」 などと言ったところで、 祟り( という名の陰湿な嫌がらせ )をきっかけにして自分に注意が向くという事実は、 果たして先祖にとって満足できることなのだろうか?
 また何より、 子孫が不幸の原因から目をそらし 「先祖の祟り」 で納得している姿は、 先祖にとって嬉しいことだろうか?
 不幸の原因から目をそらさず、 失敗から学び、 自身の成長の糧にしようと努力する前向きな姿こそ、 先祖にとって本当に嬉しい姿なのではないかと思う。
 少なくとも、子孫が不幸の原因を祟りのせいにし、 細木数子に金を積んで満足している姿よりは、 ずっと嬉しい光景だろう。






~ 金を積まずに徳を積め ~

 昔から言われるこのシンプルな言葉を、細木数子のように口先だけで言うのは簡単である。 しかしこの言葉を本当に理解し、行動に移せるようになるのは意外と難しい。 エセ宗教家や自称霊能者、細木数子のような人物に不幸があると脅されれば、つい金を積んでしまう気持ちも分からないわけではない。 だが、もしあなたが本当に先祖供養をしたいと願っているのなら、金を積みそうな局面で上記の言葉を思い出してほしい。 あなたが積むべきものは何なのか、その答えをこの言葉が教えてくれることだろう!